東京進出計画を大学受験で実現しよう1

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◆思ひ出編
◆大学受験その1

過去の思い出をつらつらと書き連ねようと思います。

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北海道の端くれにあるモテない男子校、3年生の秋頃にはやっと受験モードになっていた。
徐々に志望校について現実を見始め、医者志望の人は全国津々浦々の医学部と自分の偏差値を対比していた。

また、ひと足先に合格を決めるやつらが出てくるのもこの頃だ。

“指定校推薦”

である。これ目当てにウチに進学してくる人はとても多いし、まっとうな手段だ。
親しい友人二人が、早慶の推薦をもぎ取ったと聞いて、素直に嬉しかった。俺は国立理系、あいつらは文系、そもそもフィールドが違う。

負け惜しみでもなく、本当にそうだった。彼らに数学教えたりしていたこともあり、3年間の集大成として素直に嬉しかったものだ。

そういえば、中学の友人はどうなったか?
クラスメイトは無難に北大(北海道大学)志望、もう一人、塾で知り合ったマサ君は、、

彼こそは入学当時、学年一桁近くにいたくらいのかなり優秀なヤツだった。

ソイツは寮に入ることを極端に拒み、下宿生活だった。その下宿は、隣にある、モテ男子校の巣窟だった。
そこで、彼は、デビューしてしまった。

背が高く、柔らか目の顔、身体もガッチリ、同じ男から見ても十分カッコよく、本当にモテた(らしい)。

おそらく、そこで15年間の努力を精算してしまったのだろう、進学先は札幌にあるFランク大学ということだ。

その頃には、もう疎遠になっていたし、まあ、そんなもんだろうと感じた。

皆、違う大学に行くのだ。

一緒に目指すことは、敵になるということだ。

進学希望先をひた隠すヤツは多かった気がする。
進学校とはいえ、半分は浪人するのが通例と聞いていた。まさに皆様、プライドという受験に最も不要なものを持ち合わせている感じがした。

さて、自分はどうしたか?

・首都圏
・国公立
・理系、数学科、その周辺学部

という条件で探した。

数学がそこそこできたので、担任からも周りからも、それこそ両親からも、医学部に行かないのか??とよく聞かれた。
どうしても、医者の仕事に魅力を感じなかったし、わざわざレベル上げてまで受験に没頭できなかった。

当時はゲーセンで音ゲーが流行りだした頃で、Beatmaniaには幾ら使ったか全くわからない。ハマり込んでいたため、成績は振るわず、志望校の変更も視野に入れていた。

極めつけは、センター試験だった。

数学で満点とるぞー!

という目標があったが、敢え無く撃沈。
他の科目もイマイチ、英語に至っては試験終了間際に鉛筆を撒き散らすという惨事に見舞われた(手が滑ったのです)

で、志望校だ。

下げました。

偏差値の差は10以上あったような気がする。

模擬試験の時に一度も書いたことがないが、数学科に関してはソコソコの知名度らしい。
しかも社会は不要(センター大失敗)、数学の配点がデカイ。

これだ。見つけた。

まあ実は父親と電話して、元々の大学なんて無理なんじゃないのと言われたのもデカイ。余計なお世話をありがとう、オヤジ。

で、あれよあれよいう間に卒業式。
受験に配慮して、卒業式は早い。

普段つけないサージカルステンレスの輪っかを両耳にぶら下げて式に臨んだ。担任からははたかれたけど、気にしない。

で、受験。

受けたのは2回だけ。
第一志望の国公立と、滑り止めの私立。

私立は難なくクリアした。
試験会場の雰囲気が、なんというか、異常だった。
休憩時間には、喫煙者が一服してるし、ガラの悪そうな奴らが。

こいつらできるんかなー?

っと思って試験開始。
周囲はとても静かだった。自分は試験開始前から透かし読みで1問解いていたのですかさず記入。

周りは本当に白紙ばかりだった。
倍率は確か3-4倍、四方を見回しても自分の1/3も解答欄が埋まってない。

その日、自分の合格を確信した。

大学受験2へ続く

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